最新の論文ではないのですが、次の論文を紹介します。
Ferguson, C. J., Brown, J. M., & Torres, A. V. (2018). Education or Indoctrination? The Accuracy of Introductory Psychology Textbooks in Covering Controversial Topics and Urban Legends About Psychology. Current Psychology. doi:10.1007/s12144-016-9539-7 (著者公開のpdfがあります)
関心を持った論文について、自分用に作成した覚書を、少々書き換えて蔵出しいたします。最新の論文ではないのはそのためです。
自分の専門ではない内容ですし、全文訳でもなく、正確さは保証できません。言い訳じみておりますが、こと、この論文を紹介するにあたってはそれを言わずにはおれません。この論文が、教科書による誤った知識伝達の問題を論じるものだからです。したがって、誤りがあれば細かなことでもお知らせいただけると大変ありがたいです。
心理学の知見は頑健なものばかりではなく、研究結果の再現可能性問題も指摘されており(オープンサイエンス・再現可能性に関連した文献リスト参照)、議論が続いている知見についてはその点を慎重に伝える必要があると考えます。しかし心理学の入門授業で使用される教科書は、知見の頑健さについて十分に配慮されているかといえば、そうとは限らないようです。対立する複数の研究結果があっても、その一方だけを紹介していることもあります。それは、ときには、俗説を流布、あるいは補強することにつながりかねません。Ferguson et al. (2018)は、(アメリカの?)主要な出版社から出版された心理学入門書において、議論がある知見をどのように記述しているか、その実態について調べてみたという研究です。心理学入門書による誤った俗説流布が生じる原因として、先行研究では、単純な引用ミス(論文には書かれていない誤った解釈を述べる)や、剽窃を含め不適切なソースの引用(孫引きを含むのでしょうか?)などが指摘されています。
Fergusonらは、心理学入門書による俗説流布の形態について、次の2つを指摘していました。
1.イデオロギー的バイアス
特定の立場に基づく信条を科学的事実として紹介。論争があるという文献を引用しない引用バイアスも引き起こす。
2.科学関連都市伝説
例:Kitty Genovese事件
傍観者効果の有名な事例とされるが、多くの目撃者がいたのに助けなかったというのは真実ではない(Manning et al., 2007)。
暴力を目撃した少数の人々は通報するなどして助けようとした。
助けなかった多くの目撃者というのは不正確な新聞記事による誤った伝聞。
次に、上記の2つの形態により俗説の流布を招きうる12領域です。この論文で、心理学入門書にどのような記載があるか調査された領域です。
この12領域は、2つのグループに大別されます。(なお、この各領域の項目番号は私が説明しやすいようにふったもので、原典には記載されていません。)
まず、論争に決着がついていないにもかかわらず、イデオロギー的バイアスのために論争に決着がついていると見せかねない7領域です。
1.メディア暴力の影響
メディアで描かれる暴力が攻撃性に影響するかは最も論争がある問題の一つ(see Australian Government, 2010)。
それにもかかわらず引用バイアス(Ferguson, 2010)やイデオロギー的バイアス(Grimes et al., 2008)による誇張の問題が見られる。
2.ステレオタイプ脅威
性別と数学の能力の関係についてのステレオタイプが数学の成績の性差をもたらす(Spencer et al., 1999)といった、ステレオタイプがもたらす影響について。結果が一貫していないという論文も(Stoet & Geary, 2012)。平等主義という政治的正しさにかかわるため、教科書の内容が偏っている可能性が。
3.自己愛の高まりの拡大
若者の間で自己愛の高まりが拡大しているとする研究があるが(Twenge & Foster, 2008)、それは誤った統計に基づくものだとする研究もある(Donnellan et al., 2009)。
4.叩くことの効果
懲罰として叩くと、叩かれた人の攻撃性が高まるなどのネガティブな結果をもたらす(Gershoff, 2002)という結果もあれば、行動をほとんど変化させない(Morris & Gibson, 2011)という結果もあり、激しい論争が続いている。
5.複数の知能
人は単一の知能”g”をもつのか、複数の知能をもつのか(Gardner & Moran, 2006)は、議論がある。複数の知能のリストを教科書に掲載すると学習者の興味をひきやすいが、複数知能説はそれを支持する研究がほとんどない(Waterhouse, 2006)と批判もされている。
6.進化と配偶者選択
進化が性行動や配偶行動において重要な役割を果たしているかもしれないにもかかわらず、教科書執筆者は一般的な社会化モデルを選択して、進化の影響について論じるのを避けている。このイデオロギー的選好が俗説流布を招きうる。
7.抗うつ剤の効果
効果について論争がある(Ioannidis, 2008)。
次の5領域は、寓話的な科学関連都市伝説といえるものです。
8.Kitty Genovese事件
入門用教科書で繰り返し言及される最も有名な科学関連都市伝説かもしれない。
9.朝鮮戦争での米軍捕虜の洗脳
社会心理学の強制と同調の概念に該当する例として紹介されている。しかし洗脳は誇張された主張であり、多くは拷問の結果(Lifton, 1961)。
10.Broca野の「発見者」
Brocaが発話に関連する皮質の部位を「発見した」とするのは、教科書にはよく記載されている誤りの一つ(Thomas, 2001)。専門的にはBrocaの功績は、Auburtinの理論に基づいて解剖を行い、その部位を最初に確認したことであり、Broca野を「発見した」と言えるのはAuburtin。
11.脳の利用率は10%という神話
脳は10%しか使用されておらず、残り90%を使用すると驚異的な認知能力が得られるとする誤った説(Lilienfeld et al., 2009a, b)。この論文ではこの説を、俗説流布のある種のベースラインと位置付ける。
12.モーツァルト効果
クラシック音楽を(特に幼少期に)聴くことで認知能力に良い効果が得られるかもしれないとする説。効果の存在を否定するほうのエビデンスの割合が高まっていっている(Waterhouse, 2006)。
続いて、この研究の調査方法について説明します。
調査対象となった心理学入門書は、2012年春に主要出版社から刊行されていた24冊でした(論文のAppendix Aに記載)。
以下のリストは、俗説流布領域が記載されていた場合のその記載形態の評価基準です。調査対象となった24冊それぞれの記載内容が、上記の各領域について、以下のa.~c.のいずれに該当するかを評価し、俗説流布領域ごとにa.~c.それぞれに該当する入門書が占める割合を算出していました。
1)両論ある問題(上述の俗説流布領域1~7)をどのように記載しているか。
a.両論の一方しか記載していない(Biased)
b.議論があることに言及しているが一方に重きを置いている(Partially Biased)
c.両論について偏りなく包括的で正確に記載(Unbiased)
2)科学関連都市伝説(上述の俗説流布領域8~12)をどのように記載しているか。
a.科学関連都市伝説を事実として記載(Biased)
b.科学関連都市伝説の誤りについて触れつつも事実と見なす方向に記載(Partially Biased)
c.科学関連都市伝説を誤りとして記載(Unbiased)
これらのa.~c.の他に、そもそも記載していない(Not Covered)、というケースがあります。
結果と考察です。記載していた入門書の割合が25%以下と低い割合だった俗説流布領域は4つの領域、3.自己愛拡大、9.米軍捕虜洗脳、11.脳利用率10%神話、12.モーツァルト効果でした。一方、この他の8つの俗説流布領域は2/3以上の教科書が記載しており、その記載形態にも偏りがみられたということでした(統計学的検定はありません)。たとえば1.メディア暴力は、全ての入門書が記載しており、そのうちa.両論の一方しか記載していない(biased)入門書が50.0%、b.議論の存在に言及しつつ偏りがある(partially biased)入門書が37.5%でした。8.Kitty Genovese事件を記載していない入門書は33.3%、a.両論の一方しか記載していない(biased)入門書が45.8%、b.議論の存在に言及しつつ偏りがある(partially biased)入門書が8.3%でした。個別の結果についてお知りになりたい場合は、結果の一覧が論文のTable 1にありますのでご確認ください。
Fergusonらは、偏りなく記載することを困難にする理由として、研究者らが自分の研究結果を過剰宣伝し、異論がないかのようにみせかけることの影響を指摘しています。
誤った俗説が全く書かれていなければよいかといえば単純にそうとはいえず、誤った俗説を否定する内容が記載されていなければ、読者が既に誤った俗説を知っていた場合にそれを修正する機会を逃すことになります。
「答え」を求めて質問してくる学生に、入門書執筆者や教員は「答え」を与えたくなるかもしれませんが、議論があるトピックについては議論がありはっきりしたことはわかっていないということを誠実に伝えるべきと、Fergusonらは締めています。
内容紹介は以上です。以下は雑感です。
取り上げた俗説流布領域に偏りがあることは、研究の限界として述べられていました。プライミングの効果を取り上げていないのは、これらは入門用教科書では定番ではないということなのでしょうか?領域の選定基準に著者の熟知性や学生の関心が含まれていましたので、そうしたことの影響かもしれません。洗脳の例が朝鮮戦争であることや、自己愛拡大を俗説流布領域の一つにしたことなどは、アメリカでの関心の高さが反映されたものでしょうか。アマラとカマラや、Vicaryのサブリミナル効果が俗説流布領域に挙げられないのは、少々意外でした。アメリカではもう関心が薄いか、誤りが常識になるなどしているのでしょうか?
入門書の内容の偏りや誤りは、授業内容の作成も含む知見の普及や、サイエンスコミュニケーションの問題(武田, 2016)として重要と考えます。
しかし、その解決には、素人考えですが、いくつかの困難があると思われました。
その一つは、誰がどのようにすれば偏りがない適切な内容を書くことができるのか、そして誰がその内容を適切と判断できるのかという問題です。
この問題の少なくとも一部は、再現可能性問題の対策を参考にすればよい問題でしょうか。
もう一つの困難は、情報のアップデートについての問題です。
個人的な話になりますが、授業準備として専門外の現状や俗説となっている知見を把握するために、たとえば新曜社の『心理学・再入門』シリーズや、『本当は間違っている心理学の話: 50の俗説の正体を暴く』(リリエンフェルドら著 化学同人)などを参考にさせていただいております。専門外のトピックはその知見の正確な把握が容易ではありません。『心理学・再入門』は、有名な古典的研究を取り上げ、そしてその後の研究展開も紹介してくださっているのでとても助かります。しかし、授業の教科書としての入門書も全く同じように書くのは、分量や難易度の問題で難しそうに思われます。また、そうした書籍の内容も、いずれアップデートが必要になる可能性があります(アップデートお待ちいたしております)。
このように、参考になる書籍が全くないわけではありませんが、書籍では、アップデートに年単位の時間がかかります。その問題を解決しうるのは、インターネットではないかと思いました。
このウェブサイトをみれば各トピックの現状が把握できるというサイトがあれば、アップデートの頻度と速さはいくらか改善できないでしょうか。また、心理学ミュージアムよりも堅く論文よりは柔らかい形でのアウトリーチ活動にも役立つかと思われます。
たとえば、日本神経科学学会の脳科学辞典のようなものが心理学にもあれば、とてもありがたく思われました。
なお、この方法でも、誰が行えるのかという問題は残ります(運営資金も問題でしょうか)。
他にも気にかかる点はありますが、隗より始めよなどとは申すべくもない泡沫の身には余ることを既に書いてしまっておりますし、本日はここまでにいたします。